竹下 佳江(たけした よしえ、現姓:江草、1978年3月18日 - )は、日本の元女子プロバレーボール選手。ニックネームはテン。プレミアリーグ・JTマーヴェラスに所属していた。夫は元プロ野球選手の江草仁貴。マネジメント契約先はアミューズ。
来歴
福岡県北九州市門司区出身。3歳年の離れた姉の影響で小学校3年生よりバレーを始める。高校時代はチームでの全国大会の経験はないが、1995年、世界ユース選手権に出場し優勝を経験した。1996年、NECレッドロケッツに入団。1997年、全日本代表初選出。同年開催のワールドグランドチャンピオンズカップでは、正セッターの大貫美奈子の控えとして出場した。
その後しばらく全日本代表から遠ざかったが、1999/2000Vリーグでは正セッターとしてNECの全勝優勝に貢献し、2000年の全日本代表に招集される。当時は大貫のセッター転向が頓挫し、1999年ワールドカップで正セッターを務めた板橋恵も不調だった為、葛和伸元監督は竹下を正セッターに抜擢してシドニーオリンピック世界最終予選に臨んだ。しかし日本は3勝4敗の6位で敗退し、日本女子バレー初となる五輪出場権を逃がす結果に終わったことから、敗因として「セッターが159cmの身長では世界を相手に通用しない」と竹下の低身長が槍玉にあげられ、激しいバッシングにさらされた。
2001年、ワールドグランドチャンピオンズカップに出場し銅メダルを獲得したものの、シドニーオリンピックの出場権を逃した責任を感じ続けていた竹下は、2002年4月、所属していたNECを退社し、一時期バレーボールから離れた。
退社後は地元の北九州に帰郷し、体力を活かして介護の仕事をしようと考え、ハローワークに通っていた[1]。 しかし、当時の一柳昇JT監督から、「一緒にVリーグ昇格、そして制覇という夢に挑戦してほしい。楽しいバレーをしよう」と再三の誘いを受けて、同年8月、当時、V1リーグ(現・チャレンジリーグ) のJTマーヴェラスで復帰。その熱意に応えた竹下はチームをVリーグ(現:プレミアリーグ)昇格に導いた。
2003年に全日本に復帰し、2003年ワールドカップで最優秀敢闘賞受賞。翌2004年アテネオリンピックに出場し、5位入賞を果たす。
2004年5月20日、JTと現役日本人女子選手唯一(当時)のプロ選手契約を結んだ。マネジメントはスポーツビズが行っている。
2005年、全日本代表キャプテンに指名される。同年のワールドグランプリ2005から主将としてチームを牽引する。
2006年世界選手権では大会MVPを受賞した。
2007年1月27日、浜松市で行われたプレミアリーグのトヨタ車体戦でレシーブの際、リベロの菅山と接触、右手親指第1関節開放脱臼の怪我を負った。2月17日、途中出場で7試合ぶりにコートに復帰し、2月25日にスタメンに戻った。同年9月のアジア選手権で24年ぶりの優勝を果たした。
2008年4月、Vリーグ出場試合が232試合となり、2007年にリーグ40回大会を記念し創設された『Vリーグ特別表彰制度』の表彰基準を達成したため、長期活躍選手として特別表彰された。同年8月、北京オリンピックに出場。
2009年11月、グラチャンバレーからは、全日本のキャプテンを降り(後任は荒木)、コーチ兼任の選手となる。
2010年11月、世界選手権に出場し、銅メダルを獲得した。2010/11Vプレミアリーグでチーム史上初のリーグ優勝と第60回黒鷲旗大会で優勝し、2冠を達成した。
2011年11月のワールドカップに出場し4位となった。
2012年6月、ロンドンオリンピックの代表メンバーに選出され、自身3大会連続出場となった[2]。大会直前の練習中に左手人差し指を負傷するアクシデントに見舞われたが、テーピングを巻いて出場し、ロサンゼルスオリンピック以来28年ぶりとなる銅メダルの獲得に貢献した[3]。
同年9月28日、JTマーヴェラスは竹下が退団し、休養に入ることを発表した[4]。
2013年5月、現役登録競技者として異例となる日本バレーボール協会理事に就任[5][6]。その後、7月25日に現役を引退することを発表。今後は協会理事を務める傍ら、バレーボールの普及活動に力を入れる意向を明らかにしている[7]。
2015年5月24日、第1子となる男児を出産[8]。
2016年6月7日、兵庫県姫路市を拠点に発足したバレーボール女子チーム「ヴィクトリーナ姫路」の監督に就任[9][10]。
2018年2月1日、第2子となる男児を出産[11]。
2020年3月31日、ヴィクトリーナ姫路の監督を退任し、同時にチームの取締役球団副社長に就任したことが発表された[12][13]。本人のコメントは以下。
監督のオファーをいただいた当初は選手もいない状態で、ベース作りからV1リーグの舞台で戦えるところまで持っていくことが使命だと思っていたので、4年間やり切ったという気持ちが大きいです。プロチームとしての選手の育成やスポンサー営業なども経験して、チーム・フロントが一つになって成長でき、かけがえのない時間を過ごせたと感じています。選手たちには、後悔のないように、戦う集団であってほしいと思うので、今後はフロントの立場からチームを支えていきたいと思います。
— 竹下佳江「ヴィクトリーナ姫路|竹下佳江監督退任 及び(株)姫路ヴィクトリーナ 取締役球団副社長 就任のご報告」より[12]
2022年3月31日、全日本代表の監督付戦略アドバイザーに就任することを発表[14]。
人物・エピソード
- テンというニックネームの由来を本人は明かそうとはしていない。はるな愛から質問された際にも「高校の先輩から付けられた」と返していた。
- 自身の身長の低さが気にならない(それどころかレシーブが低くなった際などに低身長が活きてさえいる)トスさばき、高いレシーブ力、闘志あふれるプレーでチームを牽引している。
- チームメイトであった菅山かおるとは一番仲が良く、いつも一緒にいた。また、全日本でテン・シンコンビと言われた高橋みゆきとも15年来の付き合いであり、関係は深い。
- 海外で試合する際にDVDを持参するほどのお笑い(特に安田大サーカス)好きである。また、お笑い好きが高じて、ミサイルマンなどの若手芸人と交流。現在準レギュラーで出演中の『亀山つとむのかめ友 Sports Man Day』(MBSラジオ)でも、竹下やミサイルマンが登場する場合には、その交流が必ず話題になっている。
- フジテレビが命名した「世界最小・最強セッター」が話題となり、一時期小柄ながら大柄選手に引けをとらない活躍を見せるアスリートが「世界最小・最強○○」と呼ばれることが増えた。
- 2007年、JTの商品や活動内容を紹介する企業CMに男女バレーチームメイトと出演していた。女子ではほかに菅山と宝来麻紀子が出演しており、竹下はOL役で出演していた。
- 2007年12月から2010年12月まで、アシックスとバレーボール関連アドバイザリースタッフ契約を締結。
- 2008年10月4日、潮田玲子や岸川聖也ら他の北九州市ゆかりの北京オリンピック出場者とともに、北九州市特命大使の第1陣(スポーツ大使)に任命された。その際に撮られた集合写真が、市役所本館南入口横に、北九州市に贈られた他のスポーツ関連記念品とともに展示されている。
- 竹下の地元局がローカル版を作っているフジテレビジョン『ジャンクSPORTS』には、トークゲストとして出演したことが何度かあったが、2009年1月18日放送分では、恒例となっている浅尾美和・西堀健実組とのビーチバレー対決で、浜田雅功組の助っ人として参戦した。Vプレミアリーグシーズン中の忙しい日程の合間を縫って収録に参加した。
- 自身の肩書きについて「コーチ兼選手」と呼ばれる事に拒否反応を示している(「ジャンクSPORTS」内の証言より)。「選手兼コーチ」と強調もしていた。
- 2012年のロンドンオリンピックで銅メダルを獲得した直後に、プロ野球選手の江草仁貴との結婚の可能性があることが一部報道で判明[15]。この報道を受けて、竹下も江草と既に結婚していることを公表した[16]。
所属チーム
球歴・受賞歴
- 全日本代表 - 1997年、2000-2001年、2003-2012年
- 全日本代表としての主な国際大会出場歴
主な出演
CM
脚注
- ^ 北京へレディーGO〈21〉バレーボール 竹下佳江 スポーツ報知 2008年2月19日閲覧
- ^ 日本バレーボール協会. “女子日本代表選手12名決定! 第30回オリンピック競技大会(2012/ロンドン)”. 2012年6月25日閲覧。
- ^ “竹下佳江副社長、狩野舞子さん…姫路が豪華座談会 - バレーボール”. 日刊スポーツ (2021年2月12日). 2021年2月13日閲覧。
- ^ JTマーヴェラス. “竹下佳江選手 退部のお知らせ”. 2012年9月28日閲覧。
- ^ 理事会 日本バレーボール協会組織 2013年5月21日付
- ^ 日本協会理事に柔道・山口さんやセッター竹下 産経新聞 2013年6月21日閲覧
- ^ セッター竹下佳江が現役引退 ロンドン五輪銅に貢献 スポーツニッポン 2013年7月25日閲覧
- ^ “元バレー日本代表・竹下佳江さんが第1子男児出産”. ORICON (2015年5月27日). 2015年5月27日閲覧。
- ^ 目指せVリーグ! 姫路にバレー女子新チーム発足
- ^ 竹下佳江氏が新チーム「ヴィクトリーナ姫路」監督に
- ^ 日本テレビ. “バレー竹下佳江監督、第2子出産を報告|日テレNEWS24”. 日テレNEWS24. 2021年4月2日閲覧。
- ^ a b “竹下佳江監督退任 及び(株)姫路ヴィクトリーナ 取締役球団副社長 就任のご報告”. ヴィクトリーナ姫路 (2020年4月1日). 2020年9月19日閲覧。
- ^ “竹下佳江氏、V1ヴィクトリーナ姫路の副社長に 監督を退任”. ラジオ関西トピックス (2020年3月31日). 2020年9月19日閲覧。
- ^ “監督付戦略アドバイザーに竹下佳江さん、ロンドン五輪でメダル獲得したセッターの手腕に期待【バレーボール女子】”. 中日スポーツ. 2022年3月31日閲覧。
- ^ 竹下引退 広島江草と結婚/バレーボール 「日刊スポーツ」2012年8月12日付
- ^ 銅メダルのセッター竹下、広島・江草投手と結婚していた 「スポーツニッポン」2012年8月12日付
- ^ 日本バレーボール協会. “火の鳥NIPPON、オリンピック切符は持ち越し ‐ イタリアが連覇、2位アメリカ、3位は中国で閉幕‐”. 2011年11月18日閲覧。
- ^ “今井美樹ベスト盤CMに元アスリート再登場”. ORICON (2015年9月18日). 2015年9月18日閲覧。
著書
- セッター思考(PHP新書) – 2015/6/16 ISBN 978-4569825342
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、竹下佳江に関連するカテゴリがあります。
- 竹下佳江 - Olympedia (英語)
- 竹下佳江 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ (英語)
- プレーヤーのプロフィール - JP.Volley24.com
- JTマーヴェラス 選手プロフィール
- 竹下 佳江 - アミューズ オフィシャル ウェブサイト
- 吉井妙子著『世界最小最強セッター竹下佳江 短所を武器とせよ』|新潮社
- 竹下佳江 (@takechanman0318) - Instagram
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