津主治麻呂
津 主治麻呂(つ の すじまろ、生没年不詳)は、奈良時代の官人。姓は史。官位は正七位下・遣新羅使。
出自
津氏(津史)は、百済の14代目の王貴須王(近仇首王)の孫である辰孫王の子孫で、王辰爾を祖とする船氏、その甥の白猪胆津を祖先とする白猪氏(葛井氏)と同族である。津の呼称は、港(津)の管掌を担当したことに基づいており、本拠地は河内国丹比郡高鷲(現在の大阪府羽曳野市北宮)とされている。
敏達天皇3年(574年)王辰爾の弟である牛が津史の氏姓を賜与された[1]。天平宝字2年(758年)既に連姓であった同族の船氏・葛井氏と同じく、連姓に改姓し[2]、延暦9年7月17日(790年)には、津真道が津連から菅野朝臣へ改氏姓している[3]。
経歴
元正朝の養老6年(722年)5月に遣新羅使に任ぜられる[4]。この時の正七位下という位階は、歴代の遣新羅使の正使の中で最低であり、よって大使の呼称は使用されていない。元明上皇の崩御を告げる役目があったとされている。5月末に元正天皇に拝謁して[5]渡海し、12月下旬に帰国を果たしている[6]。
脚注
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参考文献
- 『日本書紀(三)』岩波文庫、1994年
- 『日本書紀(四)』岩波文庫、1995年
- 宇治谷孟『日本書紀』(上下巻)、講談社〈講談社学術文庫〉、1988年
- 『続日本紀 2(新日本古典文学大系13)』岩波書店、1990年
- 宇治谷孟『続日本紀 (上)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年
- 佐伯有清編『日本古代氏族事典』雄山閣出版、1994年
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