波多神社

波多神社
所在地 長野県松本市波田4751
位置 北緯36度11分32.1秒 東経137度50分23.7秒 / 北緯36.192250度 東経137.839917度 / 36.192250; 137.839917座標: 北緯36度11分32.1秒 東経137度50分23.7秒 / 北緯36.192250度 東経137.839917度 / 36.192250; 137.839917
主祭神 沙田神
神体 熊野三社大権現
創建 752年神亀5年)ころ
例祭 波多神社例大祭
地図
波多神社の位置(長野県内)
波多神社
波多神社
波多神社 (長野県)
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波多神社(はたじんじゃ)は、長野県松本市波田上波田にある神社である。

概要

社伝によれば725年神亀5年)ころ創建されたと伝えられる。現在地に移ったのは1504年永正元年)のことで、境内には樹齢800年以上と言われる小楢の木があり[1]、松本市指定の特別天然記念物になっている[2]。古くは萱原神社・青木原神社と呼ばれた沙田社であったが、中世から江戸時代末までは熊野三社大権現と称し、明治以後は、波田大明神・波田三柱社・村社波多社と名称が変遷した[1]

沿革

  • 725年(神亀5年)ころ - 畠山城の萱原明神として小さな社殿が祀られ、祭神は沙田神で、泥土煮尊沙土煮尊・鵜萱葺不合尊三柱の神と、かたわらに草姫尊が祀られていた[3][4]
  • 1143年康治2年) - 熊野大権現勧請合祀した[3][5]
  • 1504年永正元年) - 畠里山城の萱原明神を青木原に移し、青木原神社と改め熊野三社大権現を祀る[4]
  • 1716年1735年ころ(享保年中) - 祭礼時の家台(山車)曳きが始まった[6]
  • 1724年享保9年) - この年記載の信府統記は、波多神社について「当社ハ天暦年中勧請凡ソ七百七十有余年ニ成ル、当所ノ産神なり、社東向ニ立ツ」と記述している[7]
  • 1754年宝暦4年) - 神楽殿が作られた[8]
  • 1767年明和4年) - 朱塗り権現造り四脚の大鳥居が建立された[9]
  • 1801年享和元年) - 祭礼に際して、家台(山車)を神前に引き入れる順番をめぐって、枝郷の赤松と渕遠嶋が争いを起こし、以後40年間は家台引きが中止となる。1841年天保12年)に和解が成立し、家台曳きが再開となる[10]
  • 1871年明治4年) - 廃藩置県により、神社に関する事務は松本藩から筑摩県に引き継がれた。翌年、村社波多社となる[11]
  • 1909年(明治42年) - 無格社天神社(車坂原)と無格社神明社(水沢山赤坂神明)を波多社に合併させることが許可される[12]
  • 1911年(明治44年) - 神饌幣帛料供進社に指定される[12]
  • 1946年昭和21年) - 宗教法人令により宗教法人波田神社として登記[13]
  • 1953年(昭和28年) - 田畑とも凶作のため、祭礼での客招き・立て、家台曳きなどをいっさい中止し、神事のみを行った[14]
  • 1954年(昭和29年) - 幼児が家台にひかれて亡くなる事故が発生[14]
  • 本殿左手にある「末社」
    本殿左手にある「末社」
  • 境内東南に立つ市指定天然記念物の小楢の木
    境内東南に立つ市指定天然記念物の小楢の木

所在地

  • 長野県松本市波田上波田字青木原4751番地[1]

アクセス

アルピコ交通上高地線(通称・松本電鉄)渕東駅から南に向かうと上り坂がある。この坂を上がったところに広場・波多神社・田村堂仁王門・阿弥陀堂が隣り合って建っている。

波田地区内の他の神社

  • 三神社(旧三溝村=1874年明治7年)の合併で波多村になる=の産土神であった)
  • 諏訪神社(旧下波多村=1874年(明治7年)の合併で波多村になる=の産土神であった)
  • 竜島神社(竜島は上波多村の出郷であった。1301年正安3年)に波多神社から勧請)[3]
  • 麻神社(=長白羽矢神。下波田の麻神にある。1558年永禄元年)裁許。この頃、下波多村では麻作りが盛んであった)[3]
  • 火打岩神社[3]
  • 小さな社祠はたくさんある[3]

出典

  • 波田町誌編纂委員会『波田町誌 歴史編』波田町教育委員会、1987年3月
  • 『波多神社社務所改築記念誌』波多神社

脚注

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  1. ^ a b c 『波多神社社務所改築記念誌』22ページ
  2. ^ “松本のたから 市指定天然記念物”. 松本市. 2012年10月14日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 『波田町誌 歴史編』206~211ページ
  4. ^ a b 『波多神社社務所改築記念誌』30ページは、中波田古城蒲生家蔵文書を出典資料としている
  5. ^ 『波多神社社務所改築記念誌』30ページは、森芳夫宮司の著『由緒書』を引用している
  6. ^ 『波多神社社務所改築記念誌』32ページは、中波田古城蒲生家蔵文書を出典資料としている
  7. ^ 『波田町誌 歴史編』206ページ
  8. ^ 『波多神社社務所改築記念誌』32ページ
  9. ^ 『波多神社社務所改築記念誌』32ページは、旧鳥居墨書銘を出典資料としている
  10. ^ 『波多神社社務所改築記念誌』33ページは、上波田平林功氏文書を出典資料としている
  11. ^ 『波多神社社務所改築記念誌』35ページは、『県神社明細帳』を出典資料としている
  12. ^ a b 『波多神社社務所改築記念誌』36ページ
  13. ^ 『波多神社社務所改築記念誌』38ページ
  14. ^ a b 『波多神社社務所改築記念誌』39ページ
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