武公 (晋)

武公 姫称
王朝
在位期間 前678年 - 前677年
姓・諱 姫称
諡号 武公
没年 紀元前677年
荘伯(嫡子)

武公(ぶこう、? - 紀元前677年)は、中国春秋時代の晋の分家曲沃の第3代当主、後に晋宗家第18代君主。は姫、

生涯

陘廷の戦い

晋の公族で、祖父の桓叔(成師)から続く分家の曲沃の出身で、幼少の頃から曲沃の正卿の欒賓(中国語版)靖侯の孫、欒成(中国語版)(欒共子)の父、欒枝(中国語版)の祖父、欒書の先祖)を傅に付けられるなど、桓叔に目をかけられていた。

父の荘伯の死後、曲沃の第3代当主となった称は、祖父と父の遺志を継いで宗家を乗っ取ろうとし、紀元前709年に起きた宗家の陘廷(翼の南)攻略戦の隙を突いて、宗家当主の哀侯と息子の小子侯を立て続けに滅ぼした。

この戦いの際、称は欒賓の子で、古くからの知り合いである欒成(欒共子)と再会し、「私はあなたを曲沃の正卿として、政を任せたい」と降伏を呼びかけた。しかし欒成は「もし私が私利によって人の道を破棄する(=曲沃の正卿になる)ならば、私はどうやって民に教えるのですか。その上、君侯に仕えて二心を持つならば、 君侯は私をどのように用いられるのですか」と厳然と降伏を拒否し、翼の臣として戦死した。称はこれを大いに悲しんだ。

国力増強

しかし、周王室の介入により宗家は晋侯緡を立てた上に、虢公林父(中国語版)を中心とする諸侯連合軍の侵攻を受けたので、称は曲沃に戻り、狐突士蔿荀息等の才能ある俊英達を家臣として登用して、改めて曲沃の国力増強に勤めた。その一方で、過去幾度となく周王室の介入を受けた事を踏まえ、蔿国など、周王室内の実力者らの支持を取り付けていった。

再統一

そして紀元前679年、今度は権謀術数の限りを尽くして虢公林父を引き入れ、周王室の介入を防いだ上で再度翼に侵攻して晋侯緡を滅ぼし、桓叔・荘伯以来の悲願である晋の再統一を成し遂げた。称は翼の倉庫にあった宝物を全て周王室に献じ、正式に晋侯として認められた。

この際、翼は絳と名を改めた。

紀元前677年死去。晋を再統一した功績から、の中では2番目に尊い「」を諡され、以後武公と呼ばれる。

参考文献

武公を題材にした小説

晋の君主(曲沃分家第3代、後宗家第18代)

成師(桓叔)の曲沃就封で、晋は翼の宗家と曲沃の分家に分裂

翼宗家
曲沃分家

曲沃の武公が翼の晋侯緡を滅ぼし、晋が再統一される

  • 武公前678-前677
  • 献公前676-前651
  • 奚斉前651
  • 卓子前651
  • 恵公前650-前637
  • 懐公前637-前636
  • 文公前636-前628
  • 襄公前627-前621
  • 霊公前620-前607
  • 成公前606-前600
  • 景公前599-前581
  • 厲公前580-前573
  • 悼公前572-前558
  • 平公前557-前532
  • 昭公前531-前526
  • 頃公前525-前512
  • 定公前511-前475
  • 出公前474-前457
  • 哀公前456-前438
  • 幽公前437-前420
  • 烈公前419-前393
  • 孝公前392-前378
  • 静公前377-前376
カテゴリ カテゴリ


  • 表示
  • 編集