従如
従如(從如[1]) | |
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享保5年6月17日 - 宝暦10年7月11日 | |
幼名 | 季麿 |
法名 | 從如 |
号 | 愚川 |
院号 | 淸淨光院 |
諱 | 光超 |
尊称 | 従如上人 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | (後の真宗大谷派) |
廟 | 大谷祖廟 |
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従如(じゅうにょ、從如[1])は、江戸時代中期の浄土真宗の僧。東本願寺第十八代法主[2] 。東本願寺第十六代 一如の孫。
生涯
本ページでは、年齢は、数え年。日付は、暦の正確性、著作との整合を保つため、宝暦4年12月30日(1755年2月10日[3])までは、貞享暦表示。 宝暦5年1月1日(1755年2月11日)からは、宝暦暦表示とする(生歿年月日を除く)。また本山は、「本願寺」が正式名称だが、「西本願寺」との区別の便宜上、「東本願寺」と表記。
- 享保5年6月17日[4](1720年7月22日)、一如の四男である海慧を父として誕生。
- 当初は、奈良の教行寺住職に就く。
- (年月日不詳)、一如の甥である第十七代 真如の法嗣[5]となる。
- 延享元年(1744年)、真如が示寂し、第十八代法主を継承。
- 宝暦10年7月11日(1760年8月21日)、41歳で示寂。
脚注
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本願寺寺基の移転と分立 | |||||||||||||||
東西分立前 (本願寺の歴史) | |||||||||||||||
東西分立後 |
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東西分立後も、1987年に真宗大谷派が「宗教法人 本願寺」の解散の登記を行うまでは、共に「本願寺」が正式名称である。真宗大谷派は、1987年以降も「真宗本廟」の別称として「本願寺」を用いている『宗憲』第十三条。 | |||||||||||||||
本願寺歴代 | |||||||||||||||
東西分立前 | |||||||||||||||
東西分立後 |
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略称 - 「西」=本願寺派、「東」=大谷派、「東本」=東本願寺派、「東山」=(東山上花山)本願寺、「嵯峨」=(嵯峨)本願寺 |