川西町 (新潟県)

かわにしまち
川西町
千手観音堂
千手観音堂
浅羽町旗
浅羽町章
浅羽町章
川西町旗 川西町章
1968年6月8日制定
廃止日 2005年4月1日
廃止理由 新設合併
十日町市、松代町、松之山町川西町、中里村 → 十日町市
現在の自治体 十日町市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
甲信越地方
都道府県 新潟県
中魚沼郡
市町村コード 15481-4
面積 73.55 km2
総人口 7,991
(2004年12月1日)
隣接自治体 十日町市小千谷市高柳町、小国町、松代町
町の木 ブナ[1]
町の花 ヤマユリ[1]
町の鳥 キジ[1]
川西町役場
所在地 948-0192
新潟県中魚沼郡川西町水口沢12[1]
座標 北緯37度09分44秒 東経138度44分20秒 / 北緯37.16219度 東経138.73878度 / 37.16219; 138.73878 (川西町)座標: 北緯37度09分44秒 東経138度44分20秒 / 北緯37.16219度 東経138.73878度 / 37.16219; 138.73878 (川西町)
川西町の県内位置図
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十日町地域において、平成の大合併をした箇所。当町は信濃川を挟んで十日町中心部と相対する。

川西町(かわにしまち)は、新潟県中越地方中魚沼郡の北西部に位置していたである。周辺自治体と2005年4月1日に合併したため、消滅した。

歴史

川西町周辺は古くから「妻有郷」と呼ばれていた[2]。仙田地区では渋海川の流れを直線化する「瀬替え」により、新田開発や洪水防止の取組みが行われてきた[注釈 1]

1956年9月1日に千手町、上野村、橘村、仙田村の4町村の合併により、川西町が成立した[3][4]。その後、次第に人口は減少局面に入った。

2000年に実施された国勢調査によれば、十日町市への通勤率は29.3 %であった。このように十日町市との結び付きが強かった川西町は、2005年4月1日に十日町市、中魚沼郡中里村、東頸城郡松代町・松之山町と合併した。この日を以って新設の十日町市の一部に変わったため、川西町は消滅した。

年表

  • 1956年9月1日:新潟県中魚沼郡千手町、上野村、橘村、仙田村の4町村の合併により川西町が成立した[3][4]
  • 1967年:桐山集落を東頸城郡松代町に分町[3]
  • 1972年:霧谷集落、平見集落、星名新田集落が閉村[3]
  • 1984年:藤沢集落が閉村[3]
  • 1986年:越ケ沢集落が閉村[3]
  • 2004年10月23日新潟県中越地震が発生し、川西町では震度6弱を観測した。
  • 2005年4月1日:十日町市、中魚沼郡中里村、東頸城郡松代町・松之山町と合併して、新たに十日町市が成立した。これに伴い、川西町は消滅した。

地理

東部は信濃川流域の河岸段丘に位置する肥沃な土地である。西部の渋海川流域は中山間地域である。県市町村課が2000年に調査した「固定資産の価格等の概要」によれば、川西町の面積のうち、田畑は21.3 %、宅地は2.8 %であり、その他は山林や雑種地などが占めていた[2]

隣接していた自治体

  • 室島城山、赤谷城山、庄司山 - これらは町域内の山々であった。
  • 高耕地山、薬師岳 - これらは町域の西端部で、高柳町との行政境界を構成する山々の一部であった。
  • 権現山 - 町域の南端部だが、ここも十日町市との行政境界であった。

河川

  • 信濃川 - 町域の東端部を、概ね北へ流れていた。十日町市との行政境界であった。
  • 渋海川 - 町域の西部を、概ね北へ流れていた。信濃川の支流だが、町域内では合流せず、小国町へ流出していた。

湖沼

町域内の水域は、ほとんどが河川であった。ただし例えば、川西ダム、長福寺ダム、五升苗ダムのような小規模なダムによって作られた人工の池が有った。なお、庄司山の南麓の五升苗ダムによる人工の池は、規模が比較的大きい。

経済

農業
2000年の生産農業所得統計によれば、農業粗生産額の品目別割合においてコメが、78.6 %だった[2]
工業
塩辛農工団地[2]
川西町役場の近く、信濃川の近くの上新井地区に、発電所が立地していた。

行政

川西町役場は、町域南東端部に置かれていた。

姉妹都市・提携都市

全て日本国内の「川西」と付く自治体であった。

教育

高等学校

中学校

  • 川西町立川西中学校 - 合併に伴い、十日町市立川西中学校と改名された。

小学校

  • 川西町立千手小学校 - 合併に伴い、十日町市立千手小学校と改名された。
  • 川西町立上野小学校 - 合併に伴い、十日町市立上野小学校と改名された。
  • 川西町立橘小学校 - 合併に伴い、十日町市立橘小学校と改名された。
  • 川西町立仙田小学校〈2代目〉- 合併後の2009年に十日町市立上野小学校へ統合された[5]

交通

鉄道

町内に鉄道は通っておらず、隣接する十日町市内の十日町駅などが最寄りであった。

バス

道路

高速道路
無し。
一般国道
  • 国道252号 - 町域の中央部を東西に横断していた。高柳町との行政境界の山々は山中トンネルで抜け、町域の中央部の山々は越ヶ沢トンネルで抜けていた。信濃川を栄橋で越えて、十日町市との行政境界を抜けていた。
  • 国道403号 - 町域の西部を南北に縦貫していた。山道であり、町域内に渋海トンネルを始めとして、トンネルが複数有った。
都道府県道
道の駅

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

『光の館』。越後妻有アートトリエンナーレ(大地の芸術祭)に伴って恒久的に設置された作品。中にジェームズ・タレルの作品が有る。

2001年度における目的別観光入込客数では「温泉」が最も多く、153,220人であった[2]。次いで「祭り・イベント」が21,800人であった[2]

出身有名人

  • 平野壮弦 - 書家である。2002 FIFAワールドカップの公式ポスターデザインなどを手掛けた。
  • 田口直人 - 1999年7月10日から川西町の町長であった。また、合併後初代の十日町市長でもある。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 渋海川は中山間地を流れており、その流路は激しく蛇行していた。詳細は渋海川の記事を参照。

出典

  1. ^ a b c d e 市町村要覧:川西町
  2. ^ a b c d e f g h 新市将来構想 Ⅰ.5市町村の現状と課題(pp.1 - 52)
  3. ^ a b c d e f “川西町の紹介 - 川西町 - WARPによるアーカイブ]”. warp.da.ndl.go.jp. 2023年12月1日閲覧。
  4. ^ a b “川西町の合併経緯 - 川西町 - WARPによるアーカイブ]”. warp.da.ndl.go.jp. 2023年12月1日閲覧。
  5. ^ “十日町市立上野小学校 学校紹介 学校の沿革 平成②”. 十日町市. 2019年4月12日閲覧。

参考文献

  • “平成14年度(2002年度)市町村要覧”. 新潟県. 2004年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月12日閲覧。
  • “新市将来構想”. 十日町広域圏合併任意協議会. 2019年4月12日閲覧。

関連項目

外部リンク

行政
  • 川西町HP - WARPによるアーカイブ
  • 川西町ホームページ(2005/06/24アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  • 十日町広域圏合併協議会
  • 旧川西町の広報誌 - 十日町市
  • 十日町市 川西支所トップページ
観光・その他
  • 十日町市観光協会
  • 川西町観光マップ - 川西町 - WARPによるアーカイブ
新潟県十日町地域の廃止市町村
()内は廃止年。*:複数の自治体に分割して廃止
現・十日町市
川西町(2005年)
千手町(1956年)

千手町村・中野村(1922年)

上野村・橘村・仙田村(1956年)

中里村(2005年)

貝野村*(1956年)

田沢村・倉俣村(1955年)

松代町(2005年)

奴奈川村(1959年)

松代村(1954年)

峰方村松平村・伊沢村(1901年)

山平村(1954年)

北山村・北平村(1901年)

松之山町(2005年)
松之山村(1955年)

松之山村・松里村・布川村(1901年)

浦田村(1955年)

十日町市(2005年)
水沢村(1962年)

貝野村*(1956年)

馬場村・今泉村(1901年)

下条村(1955年)
下条村(1901年)

下組村・三好村(1900年)

東下組村(1901年)

吉田村(1954年)

吉田村・鎧島村真田村(1902年)

中条村(1954年)

中条村・大井田村新座村(1901年)

川治村(1954年)

川治村・河内村(1901年)

六箇村(1954年)

十日町(1954年)

現・津南町
外丸村(1955年)

外丸村・三箇村(1901年)

上郷村(1955年)

上郷村・寺田村・宮野原村(1901年)

芦ヶ崎村(1955年)

赤崎村・谷内村(1901年)

外部リンク:市町村の変遷一覧表(新潟県HP)
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