山西博文
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名前 | ||||||
カタカナ | ヤマニシ ヒロフミ | |||||
ラテン文字 | YAMANISHI Hirofumi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | (1963-06-22) 1963年6月22日(61歳) | |||||
出身地 | 広島県 | |||||
身長 | 179cm[1] | |||||
体重 | 72kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1986-1992 | マツダSC | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
山西 博文(やまにし ひろふみ、1963年6月22日 - )は、広島県出身の元サッカー選手(DF)、元サッカー審判員。現在はJリーグのサンフレッチェ広島職員。
来歴
広島市立舟入高等学校、東京農業大学卒業。高校・大学の1年先輩に石井知幸がいる。
卒業後マツダに入社、マツダSC(現サンフレッチェ広島)に在籍。ディフェンダーとして松田浩や信藤克義)らとともにDFラインを形成し、高橋真一郎、風間八宏、森保一、織田秀和、前川和也らとプレーした。
Jリーグ発足後はプロ契約を結ばず、サンフレッチェ広島強化部の職員としてユース年代の指導に当たりつつ、審判員として活動する。1997年に1級審判員登録。以後、J1を中心とした国内試合の主審として笛を吹く。
審判員の活動が本格化すると同時に指導者の立場からは離れたが、サンフレッチェ広島に事業部職員として在籍、2006年までスタジアムで販売される弁当・グルメの企画開発を担当、試合前に不定期で行われるサポーター向けルール講習会の講師も行っていた。
2008年現在、事業本部営業部に所属し、スポンサーとの契約交渉を担当。
2009年度をもって審判業を引退し、サンフレッチェ広島での業務に専念することになった[2]。
サンフレッチェ広島職員の傍ら審判員をこなしていたこともあり、広島の公式戦において審判員を務めることはなかった。
所属クラブ
- 広島市立舟入高等学校
- 東京農業大学
- 1986年 - 1992年 : マツダSC
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1986-87 | マツダ | JSL1部 | |||||||||
1987-88 | マツダ | JSL1部 | |||||||||
1988-89 | マツダ | JSL2部 | |||||||||
1989-90 | マツダ | JSL2部 | 24 | 2 | |||||||
1990-91 | マツダ | 13 | JSL2部 | 1 | 0 | 0 | 0 | ||||
1991-92 | マツダ | 13 | JSL1部 | 5 | 0 | 0 | 0 | ||||
通算 | 日本 | JSL1部 | 22 | 0 | |||||||
日本 | JSL2部 | ||||||||||
総通算 |
その他の公式戦
- 1991年
- コニカカップ 2試合0得点
審判実績
1級審判員登録:1997年12月11日
Jリーグ登録:J1副審 1999年-2000年/J1主審 2001年-2009年
- J1 主審96試合 副審11試合
- J2 主審51試合 副審3試合
国際主審 2002年-2006年
参考文献
- 『1990-1991JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1990 ISBN 4-523-31032-7
- 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991 ISBN 4-523-31033-5
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-100-6
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2000』、トランスアート、2000 ISBN 4-88752-102-2
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2001』、トランスアート、2001 ISBN 4-88752-104-9
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2002』、NTT出版、2002 ISBN 4-7571-8116-7
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2003』、NTT出版、2003 ISBN 4-7571-8134-5
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2004』、コナミメディアエンタテインメント、2004 ISBN 4-86155-802-6
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2005』、コナミメディアエンタテインメント、2005 ISBN 4-86155-805-0
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2006』、コナミ、2006 ISBN 4-86155-811-5
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2007』、コナミデジタルエンタテインメント、2007 ISBN 978-4-86155-839-9
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2008』、コナミデジタルエンタテインメント、2008 ISBN 978-4-86155-847-4
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2009』、コナミデジタルエンタテインメント、2009 ISBN 978-4-86155-850-4
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2000』、トランスアート、2000 ISBN 4-88752-101-4
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2001』、トランスアート、2001 ISBN 4-88752-103-0
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2002』、NTT出版、2002 ISBN 4-7571-8117-5
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2003』、NTT出版、2003 ISBN 4-7571-8135-3
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2004』、コナミメディアエンタテインメント、2004 ISBN 4-86155-801-8
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2005』、コナミメディアエンタテインメント、2005 ISBN 4-86155-806-9
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2006』、コナミ、2006 ISBN 4-86155-812-3
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2007』、コナミデジタルエンタテインメント、2007 ISBN 978-4-86155-840-5
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2008』、コナミデジタルエンタテインメント、2008 ISBN 978-4-86155-846-7
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2009』、コナミデジタルエンタテインメント、2009 ISBN 978-4-86155-851-1
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2010』、コナミデジタルエンタテインメント、2010 ISBN 978-4-86155-853-5
脚注
- ^ a b 『1991-1992JSLイヤーブック』p63
- ^ “10年のJリーグ審判員を発表、主審5人が引退”. ゲキサカ. (2010年1月20日). https://web.gekisaka.jp/news/detail/?64449-49711-fl 2018年3月30日閲覧。
関連項目
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