宮崎世龍
宮崎 世龍(みやざき せいりゅう、1904年〈明治37年〉5月23日[1] - 1995年)は、日本のジャーナリスト。朝日新聞記者を務めた。
宮崎民蔵の子で[1]、宮崎世民の実弟[1]、宮崎滔天の甥に当たる。
来歴
熊本県に生まれる[1]。
熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校)を経て(1922年卒業)、東亜同文書院大学(当時は旧制専門学校の扱い)を卒業[1]した。
朝日新聞社に入社し[1]、上海通信局員として第一次上海事変を取材した。1935年には、日本人記者として初めて蔣介石と単独会見をおこなう。1943年に朝日新聞社南京支局長兼上海総局次長、1945年に上海総局長となった。
戦後は朝日新聞東京本社東亜部長、編集局次長、朝日新聞社社友などを歴任[1]した。
脚注
- ^ a b c d e f g 「人事興信録 第25版 下」国立国会図書館デジタルコレクション
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