子斑
子斑 | |
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魯 | |
第17代公 | |
王朝 | 魯 |
在位期間 | 前662年 |
都城 | 曲阜 |
姓・諱 | 姫斑 |
生年 | 不詳 |
没年 | 荘公32年10月2日[1] (前662年10月6日) |
父 | 荘公 |
母 | 孟任 |
子斑(しはん)は、魯の第17代君主。名は斑。『春秋左氏伝』は名を般とする。荘公の子。
生涯
荘公の夫人の哀姜には子がなかったので、荘公の死の直前に庶子の斑を後継に立てようとした。荘公の三弟の叔牙は、次弟の慶父を立てようとしたが、四弟の季友が斑の立嗣を支持し、荘公の名をもって叔牙に迫って毒酒を飲ませ自殺させた。
荘公32年(紀元前662年)8月、荘公が病没すると、季友が斑を魯の君主に立てた。10月、慶父が斑を殺害し、荘公の庶子の啓を魯の君主に立てた(閔公)。季友は陳国に逃亡した。
家庭
父:
- 荘公(第16代魯公)
母:
- 孟任(魯の大夫党氏の娘)
兄弟:
- 閔公(第18代魯公)
- 僖公(第19代魯公)
- 公子遂(東門襄仲)
- 杞伯姫
脚注
参考文献
- 韓兆琦『新訳史記読本』、台北、三民書局、2008年2月初版
- 程發軔『春秋人譜』、台北、台湾商務印書館、1995年1月二版
- 楊伯峻『春秋左伝注』、高雄、復文図書出版社
魯の17代君主(前662年) | |
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