大井光泰
凡例 大井光泰 | |
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時代 | 鎌倉時代 |
生誕 | 建長元年(1249年) |
死没 | 徳治2年10月6日(1307年11月1日) |
別名 | 大井弥二郎 |
戒名 | 道純 |
氏族 | 小笠原氏流大井氏 |
父母 | 父:大井光長、母:小坂氏の娘 |
兄弟 | 大井時光、大井光泰、大井行光、大井行氏、大井宗光、大井光盛、大井光信 |
妻 | 伴野三郎時直の娘 |
子 | 女子、大井行泰、大井光行、大井氏泰 |
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大井 光泰(おおい みつひろ)は、鎌倉時代の武将、信濃国佐久郡、長土呂大井氏祖。大井光長の次男。
生涯
弘安4年(1281年)、大井光長の長男時光と三男行光が大井の家督を争った時、行光が家督を譲られていることを北条時宗に証言した。弘安7年(1284年)、長土呂に館を構え、以後大井行俊が岩尾城に移るまで、6代に亘って居住することとなる。弘安9年(1286年)、鶴岡の流鏑馬の射手の列に加わった。
正応2年(1289年)、将軍惟康親王が鶴岡の放生会に参詣した時、随兵となる。同年10月、久明親王が将軍となった時、拝謁した。乾元元年(1302年)、最勝園寺の供養に将軍が赴いた時、随兵となる。