古賀龍太郎
古賀 龍太郎 | |
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生誕 | 1888年2月15日 日本 福岡県 |
死没 | (1957-02-20) 1957年2月20日(69歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1910年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
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古賀 龍太郎(こが りゅうたろう、1888年(明治21年)2月15日[1] - 1957年(昭和32年)2月20日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]
経歴
1888年(明治21年)に福岡県で生まれた[1]。陸軍士官学校第21期卒業[1]。1937年(昭和12年)4月に歩兵第70連隊留守隊長に就任し[2]、8月に陸軍歩兵大佐に進級[2]。1938年(昭和13年)に歩兵第170連隊長に就任し[2][3]、日中戦争に出動[1]。広東攻略戦に参加した[1]。1940年(昭和15年)、陸軍少将進級と同時に対馬要塞司令官に就任[1]。
1942年(昭和17年)に歩兵第52旅団長に転じ[1]、長沙、衡陽、全県を連戦[1]。1945年(昭和20年)1月に第127師団長心得となり、3月に陸軍中将進級と同時に第127師団長に親補される[1]。図們南方に駐屯し、終戦を迎えた[1]。
栄典
- 勲章
脚注
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