北野東映

曖昧さ回避 この項目では、京都府京都市上京区でかつて北野劇場として開館した映画館について説明しています。その他の用法については「北野劇場」をご覧ください。
北野東映
Kitano Toei
種類 事業場
市場情報 消滅
略称 北野劇場・北野東宝 (旧称)
本社所在地 日本の旗 日本
602-8283
京都府京都市上京区千本通中立売下ル東側 亀屋町
設立 1953年
業種 サービス業
事業内容 映画の興行
主要株主 京都興行
関係する人物 山本義雄
特記事項:略歴
1953年 北野劇場開館
1958年 北野東宝と改称
1961年 北野東映と改称
1970年5月31日 閉館
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北野東映(きたのとうえい)は、かつて存在した日本の映画館である[1]。1953年(昭和28年)、京都府京都市上京区西陣京極北野劇場(きたのげきじょう)として開館[2][3][4][5][6][7]、1958年(昭和33年)には北野東宝(きたのとうほう)と改称して東宝の封切館となる[1]。1961年(昭和36年)に北野東映に改称、いずれの時期にも東宝あるいは東映の直営館ではなく、西陣劇場新出水通土屋町東入ル)に本社を置く京都興行が経営した[1][8]

大阪市梅田に戦前から存在した北野劇場(現在のTOHOシネマズ梅田スクリーン1)とは異なる。

沿革

  • 1953年 - 北野劇場として開館[1]
  • 1958年 - 北野東宝と改称、東宝の封切館になる[1]
  • 1961年 - 北野東映と改称、東映の封切館になる[1]
  • 1970年5月31日 - 閉館[1]

データ

  • 所在地 : 京都府京都市上京区千本通中立売下ル東側[1] 亀屋町[9]
    • 「千本通中立売角[5][6][7]」とも表記された。現在の「西陣ロイヤルハイツ」の位置[9]
    北緯35度1分28.68秒 東経135度44分33.46秒 / 北緯35.0246333度 東経135.7426278度 / 35.0246333; 135.7426278
  • 経営 : 京都興行[10][11]
  • 代表 :
    1. 山本義雄[10]
    2. 山本邦雄[11]
  • 構造 : 木造二階建、敷地200坪(約661.2平方メートル[1]
  • 観客定員数 : 400名(1953年[1])、700名(改装後[1]

概要

1953年(昭和28年)、京都府京都市上京区千本通中立売下ル東側、いわゆる西陣京極に北野劇場として開館する[1]芝居小屋・映画館の西陣劇場の経営を昭和初年には始めていた山本義雄[12]が興した京都興行が、戦後に手がけた映画館である[10]。当初は配給会社に関わらず日本映画を上映する「邦画混映館」であった[4]。当時同社は、西陣地区に西陣劇場と同館のほか、東洋映画劇場(かつての京極座、のちの東映直営館西陣東映劇場、土屋町通中立売上ル)、大宮劇場(かつての久榮座、北区旧大宮通北大路下ル西側)、大宮東宝映画劇場(かつての西陣帝國館、大宮通芦山寺上ル西角)の合計5館を経営していた[2][3]。このころすでに山本は同社の会長であり、社長は山本邦雄が務めていた[10]

1958年(昭和33年)には北野東宝と改称して、東宝の封切館となる[1]。大宮東宝映画劇場は大宮通の北に離れており、西陣京極には当時、東宝系の映画館がなかったことに起因する[5][6][7]。このころの同館の支配人は、京都興行専務取締役の山本龍夫であった[5][6][7]。1960年(昭和35年)6月には、京都興行が経営していた西陣東映劇場が、東映の直営館となる[8][13]。1961年(昭和36年)7月、千本通西側の五番町に五番街東宝(現在の千本日活)が開館、それに前後して、同館は北野東映と改称した[1][8]。同年、東映直営になっていた西陣東映劇場は西陣ニュー東映劇場と改称し、「ニュー東映」の封切館となって地区内の興行を棲み分けた[8]。同年、京都興行が経営していた大宮劇場はストリップ劇場に転身[1]、同じく西陣劇場は翌1962年(昭和37年)にパチンコ店に転身(1968年2月閉館[1])、同社が経営する映画館は同館と大宮東宝映画劇場の2館だけになり[14]、大宮東宝映画劇場も1965年(昭和40年)8月には閉館した[1]

京都興行が経営する最後の映画館となったが、1970年(昭和45年)5月31日、閉館した[1]。跡地には、1981年(昭和56年)1月、マンション「西陣ロイヤルハイツ」が建てられた[9]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 思い出の西陣映画館 その二、『上京 史蹟と文化』1992年第3号、上京区役所、1992年10月15日付、2013年10月11日閲覧。
  2. ^ a b 総覧[1953], p.102.
  3. ^ a b 総覧[1954], p.110.
  4. ^ a b 総覧[1955], p.120.
  5. ^ a b c d 便覧[1956], p.121.
  6. ^ a b c d 便覧[1958], p.164-165.
  7. ^ a b c d 便覧[1959], p.174-175.
  8. ^ a b c d 便覧[1962], p.181.
  9. ^ a b c 西陣ロイヤルハイツ、SUUMO物件ライブラリーリクルート、2013年10月11日閲覧。
  10. ^ a b c d 年鑑[1953], p.528.
  11. ^ a b 年鑑[1954], p.421, 528.
  12. ^ 村沢[1967], p.139.
  13. ^ 思い出の西陣映画館 その一、『上京 史蹟と文化』1992年第2号、上京区役所、1992年3月25日付、2013年10月11日閲覧。
  14. ^ 年鑑[1963], p.277.

参考文献

  • 『映画年鑑 1953』、時事映画通信社、1953年
  • 『全国映画館総覧 1953』、時事映画通信社、1953年発行
  • 『映画年鑑 1954』、時事映画通信社、1954年
  • 『全国映画館総覧 1954』、時事映画通信社、1954年発行
  • 『全国映画館総覧 1955』、時事映画通信社、1955年発行
  • 『映画便覧 1956』、時事映画通信社、1956年
  • 『映画便覧 1958』、時事映画通信社、1958年
  • 『映画便覧 1959』、時事映画通信社、1959年
  • 『映画便覧 1962』、時事映画通信社、1962年
  • 『映画年鑑 1963』、時事映画通信社、1963年
  • 『伊那の芸能』、村沢武夫、伊那史学会、1967年

関連項目

外部リンク

  • 思い出の西陣映画館 その二 - 『上京 史蹟と文化』(1992年第3号)
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