全国農民党
全国農民党 Nemzeti Parasztpárt | |
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初代党首 | ヴェレシュ・ペーテル |
解散時の党首 | ドブサイ・カーロイ |
創立 | 1939年6月29日(第一次) 1956年10月31日(第二次) 1989年6月11日(第三次) |
解散 | 1949年(第一次) 1956年11月4日(第二次) 1998年6月15日(第三次) |
機関誌 | サバド・ソー (Szabad Szó) |
政治的思想 | 農本思想農本社会主義左派ポピュリズム[1] |
政治的立場 | 左翼 |
国会議員数 | 42 / 498 36 / 364 |
党旗 | |
File:Flag of the National Peasant Party (Hungary).svg |
全国農民党(ぜんこくのうみんとう、ハンガリー語: Nemzeti Parasztpárt)は、かつてハンガリーで存在し、ハンガリー人民共和国の成立と共に解党した社会主義政党である。
歴史
全国農民党の党首ヴェレシュ・ペーテルは1918年、ハンガリー評議会共和国が建てられた時に共産主義に傾倒し、独自の政治活動を行った。
その後、第二次世界大戦が勃発し、ハンガリーでもファシズムの風潮が高まると、ヴェレシュの活動はホルティ政権や矢十字党に弾圧された。
ヴェレシュは生き残る為の選択として、国家主義的な左翼政党の創設を目標に掲げ、何度も弾圧から逃れた。
終戦後、ハンガリーはソビエト連邦軍に占領され、社会主義国の創設に向けて改革される。
1946年に全国農民党が右派的社会主義政党を掲げて創設され、社会民主党などと協力するも、社会民主党と共産党が合併してできたハンガリー勤労者党に解党された。
解党後
全国農民党の解党後は、その党員の多くがハンガリー勤労者党に流れたが、一党独裁制には反対し、旧党員達はハンガリー動乱においても活発的に活動していた。
そのため彼らは党内は勿論、国内では右派的と見られていた。
参考文献
- ハンガリー人民共和国史-東側の穏健派-[要文献特定詳細情報]
脚注
出典
- ^ “An Attempt at a New, Democratic Start.” Hungary 1944-1953, Lesson 1. The Institute for the History of the 1956 Revolution, [1]