五十嵐道甫
五十嵐 道甫(いがらし どうほ、? - 1678年7月14日(延宝6年5月26日))は、江戸時代初期の五十嵐派の蒔絵師。五十嵐信斎の孫。
略歴
寛永年間(1624~1644年)ごろ加賀藩主前田利常の招きで金沢に行き、以降、寛文元年(1661年)まで京都と金沢を往復[1]。蒔絵御用として加賀蒔絵の基礎を築く。[2] 後年、京都に帰り、延宝6年(1678年)に亡くなった。
道甫の子、喜三郎は父と同じく前田家に招かれ、その後代々同地で前田家に仕え[2]、五十嵐派と呼ばれる技法を金沢に定着させ、父と同じく加賀蒔絵の創成期を担った。
作品
道甫作と言われる作品は多いものの、子の二代道甫喜三郎の作品と区別して特定することは難しい。従って、道甫の作品も「五十嵐道甫伝」として紹介されることが多い[1]。
- 秋野蒔絵硯箱[3] - 伝五十嵐道甫、石川県立美術館蔵
- 脇息図十二律箱[1] - 同上
脚注
出典
参考文献
- 横井時冬『工芸鏡. 二』六合館、1894年。
関連項目
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