マイケル・コープランド

マイケル・コープランドは、イギリス生まれの起業家。カナダのソフトウェアメーカーであるCorelの創業者であり会長である[1]

生い立ち

1943年4月23日イングランドベクスヒル=オン=シーに生まれる。

Mitelの創業

ベル・ノーザン・リサーチ(Bell Northern Research、後のノーテルネットワークス)に就職していたが1973年に、マイクロシステムズ ・インターナショナル(MIL)に勤務。ここでテリー・マシューズ(英語版)と知り合い、二人でミテル(英語版)を創業し、電子PBXシステムの開発・販売を始める。

当初は成功しており、一時期の売上高は2億5千万ドルまで達したが、拡大しすぎたことと開発上の問題により、「ブリティッシュ・テレコミュニケーションズ」(後のBTグループ)に買収される事になり、1984年に株主の反対を押し切りコープランドとマシューズは会社を去った[2]

Corelの創業

1985年コープランド・リサーチ・ラボラトリー(Cowpland Research Laboratory)の頭文字をとりCorelを創業し、1987年にDTPワークステーションを販売していたが、1989年にグラフィックソフトCorelDRAWを発売するまで成功はなかった。

1996年には、ノベルからWordPerfectを1億5800万ドルで買収し、生産管理ソフトウェア(英語版)への進出でマイクロソフトに挑戦状を叩きつけた。CAD、ビデオ会議、Java、Linux、その他の開発分野への進出も失敗に終わった[3]

インサイダー取引疑惑

コープランドは、同社が期待外れの決算を発表する直前に、インサイダー情報を利用して2,000万ドル相当のCorel株を1株あたり8ドルで売却した疑いで、1999年から2000年にかけてオンタリオ証券委員会(OSC)の調査を受けた。 両者は 2003 年に訴訟を解決し、コープランドは 575,000 ドルを支払うことに同意した[4]。コープランドが 8 ドルでインサイダー取引を行ったとされる事件を受けて、Corel 株はLinuxブームの最盛期である 1999年11月頃に、1 株あたり 60 ドルのピークに達した。 Corel のCorel Linux は、Microsoft Windows の潜在的なライバルになると見られていたからである。

Linuxのクリティカルマス[5]を作る目的でボーランドを買収しようとして失敗した後、2000年8月にCorelを去り、NASDAQに上場しているデータベースとモバイルコンテンツの会社であるZIM corporation(ZIMCF)の経営権を買収した。

脚注

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  1. ^ “End of an era: Terry Matthews, board members bid farewell to Mitel following $2B acquisition | Ottawa Business Journal”. www.obj.ca. https://www.obj.ca/article/terry-matthews-out-mitel-following-close-2b-acquisition 
  2. ^ “グラフィックスからLinuxへ - @IT自分戦略研究所”. jibun.atmarkit.co.jp. 2024年4月5日閲覧。
  3. ^ “BlackBerry Ltd isn't the first Canadian tech company to go from rockstar to (near) ruin”. Financial Post. (November 8, 2013). http://business.financialpost.com/2013/11/08/blackberry-ltd-isnt-the-first-canadian-tech-company-to-go-from-rockstar-to-near-ruin/?__lsa=2ab0-85d5 
  4. ^ “Ontario Securities Commission - Order - in the Matter of M.C.J.C. Holdings Inc. And Michael Cowpland - CVMO”. 2007年5月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年7月2日閲覧。
  5. ^ 『クリティカルマス』 - コトバンク

関連項目

外部リンク

  • “Corel 公式サイト”. 2024年4月10日閲覧。