ピピン1世 (アクィタニア王)
ピピン1世 Pépin I | |
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アクィタニア王 | |
![]() ピピン1世のドゥニエ貨幣 | |
在位 | 817年 - 838年 |
出生 | 797年 |
死去 | 838年12月13日 |
家名 | カロリング家 |
王朝 | カロリング朝 |
父親 | ルートヴィヒ1世 |
母親 | エルマンガルド・ド・エスベイ |
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ピピン1世(ドイツ語: Pippin I., フランス語: Pépin I d'Aquitaine, 797年 - 838年12月13日)は、アクィタニア王(在位:817年 - 838年)。フランク王ルートヴィヒ1世の次男。
生涯
817年に父ルートヴィヒ1世が制定した「帝国分割令」により、アクィタニア王位を得た[1]。830年および834年に兄ロタール1世が起こした父に対する反乱では、ロタールを警戒し、弟ルートヴィヒとともに、ロタールにより帝位を追われた父を復権させている[1]。
838年、ピピン1世は死去し、息子ピピン2世が王位を継承したが、ルートヴィヒ1世はピピン2世に代わって自身の末子シャルル2世にアクィタニアを与えることとした[2]。
子女
- ピピン2世(823年 - 864年?) - アクィタニア王
- シャルル(830年頃 - 863年) - マインツ大司教(856年 - 863年)
脚注
- ^ a b 柴田、p. 164
- ^ Reuter, p. 16
参考文献
- 柴田三千雄 他 『世界歴史大系 フランス史1』 山川出版社、1995年
- Timothy Reuter (translated), The Annals of Fulda, Manchester University Press, 1992.