チャールズ・アースキン (第22代マー伯爵)
第22代マー伯爵[注釈 1]チャールズ・アースキン(英語: Charles Erskine, 22nd Earl of Mar PC、1650年10月19日 – 1689年4月23日)は、スコットランド貴族。1654年から1668年までアースキン卿の儀礼称号を使用した[3]。
生涯
第21代マー伯爵ジョン・アースキンと2人目の妻メアリー・マッケンジー/ジーン・マッケンジー(Mary Mackenzie[3]/Jean Mackenzie[2]、1668年5月没[3]/1674年9月15日以降没[2]、第2代シーフォース伯爵ジョージ・マッケンジー(英語版)の娘)の息子として、1650年10月19日に生まれた[3]。
1668年9月に父が死去すると、マー伯爵の爵位を継承したが、祖父と父の代に課された罰金と2人が残した借金により本領であるアースキンのバロン領など多くの領地を売却せざるを得なかった[3]。
1679年にロイヤル・スコッツ・フュジリアーズ(英語版)を編成して、1686年までその隊長を務めた[3]。また、1682年にスコットランド枢密院(英語版)の枢密顧問官に任命された[3]。
ジェームズ2世に味方したため、1689年3月に逮捕された[3]。同年4月23日に死去、アロア(英語版)で埋葬された[3]。息子ジョンが爵位を継承した[3]。
家族
1674年4月2日頃にメアリー・モール(Mary Maule、第2代パンミュア伯爵ジョージ・モールの娘)と結婚、3男1女をもうけた[2]。
- ジョン(1675年 – 1732年) - 第23代マー伯爵、子供あり
- ジェームズ(英語版)(1679年 – 1754年) - 法律家、政治家、庶民院議員。孫に第24代マー伯爵ジョン・フランシス・アースキンがいる
- ヘンリー(1682年9月11日 – 1707年4月14日) - 軍人
- ジーン(Jean、1763年11月16日没) - 1712年2月21日、第2代準男爵サー・ヒュー・パターソン(英語版)と結婚、1男1女をもうけた[4]
注釈
- ^ 1572年没のジョン・アースキンは1565年にマー伯爵の爵位を回復したが、1875年の貴族院裁決と1885年の議会立法の結果、爵位復活と爵位創設の両方が行われたものとみなされ[1]、本記事の人物は中世創設の爵位では「第22代マー伯爵」、1565年創設の爵位では「第5代マー伯爵」となる。また、『クラクロフト貴族名鑑』など1435年没の第12代マー伯爵アレクサンダー・ステュアート(英語版)を正式な伯爵として数えない文献もあり[2]、その場合は本記事の人物が中世創設の爵位における「第21代マー伯爵」となる。
出典
- ^ Round, John Horace (1911). "Mar, Earldom of" . In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 17 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 665–666.
- ^ a b c d "Mar, Earl of (S, 1114)". Cracroft's Peerage (英語). 18 March 2013. 2019年11月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 236.
- ^ Hayton, D. W. (2002). "PATERSON, Sir Hugh, 3rd Bt. (c.1685-1777), of Bannockburn House, St. Ninians, Stirling.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年11月10日閲覧。
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